2016年夏、天皇主導で開始された「生前退位」=天皇「代替わり」は、天皇自身が天皇制のありかたを積極的に提示し、その意思にもとづいた法律を、ほぼ全会一致で成立させたという意味でも、戦後象徴天皇制の段階を画すものだ。 「天皇陛下」の「思い」を「国民」こぞって「理解し共感」する旨第一条に明記された退位特例法は、まさに「君民一致」の「美しい国体」宣言だ。反天皇制運動は、こうした国家の統合機能に対して「否」をつきつける闘いとしてある。
そしていま、天皇「代替わり」に関する一連の儀式が、政府の準備委員会によって決定されようとしている。天皇即位30年記念式典や、秋篠宮の「立皇嗣の礼」も、国事行為として行うという。国家的行事としての一連の天皇儀式をとおして、日本はまぎれもない天皇制国家であることを再確認させようというのだ。いまこそ、天皇制攻撃そのものと対決する広範な運動陣形が作り出されなければならない。
東京においては、私たち反天皇制運動連絡会(反天連)も参加する実行委員会によって、毎年、2・11反「紀元節」、4・29反「昭和の日」、8・15反「靖国」の集会とデモが取り組まれている。
今年の2・11も、東京・水道橋で開催された集会に、200名近い人びとが結集した。集会は「明治150年=近代天皇制を問う」というテーマを掲げ、太田昌国さん(民族問題研究)を講師にお招きした。太田さんは、歴史のとらえ方について言及され、歴史が作られる過程においては常に対抗関係があったこと、その対抗関係の結果が現在に繋がるものとしてあるが、その過程を包括的に読んでいくことの大事さを語られ、そういう観点から、「明治150年」を安倍たちが持ち上げることの問題を指摘した。
各地から創意工夫で天皇制はいらないの声を
集会後デモに移ったが、東京においても、反天皇制のさまざまな行動に対する執拗な右翼の攻撃と、それを利用した権力の介入が常態化している。特に最近では、デモの先導カーに対する物理的な攻撃が続いている。2016年の11・20「天皇制いらないデモ」では、ほとんどすべての横断幕やプラカードが強奪されるほどの右翼の襲撃のなかで、宣伝カーのフロントガラスが割られた。昨年の「終わりにしよう天皇制 11・26大集会」の直前にも、明らかにデモの破壊を狙った街宣右翼による事前の宣伝カーの破壊が行われている。
そして今年の2・11当日。早朝、実行委メンバーが駐車場に車を取りに行った時には、右翼街宣車が周囲を取り囲むようにあらかじめ駐車し、同じ時間帯に宣伝カーの所有者であるグループの事務所の前も街宣右翼に包囲されていた。デモに宣伝カーを出させないための妨害だ。
ふたつの現場とも私服公安が取り巻いていたが、監視していただけである。実際の物損がなければ黙認するという対応をしたことは明らかだ。実際、所轄の立川署の警察官に対しては、当日「右翼の対応は公安三課(警視庁・右翼担当)がするので、何かあっても出動しないように」という指示が出されていたらしいことも分かっている。
こうした妨害も含めて、ひとつひとつ打ち破っていくことは、反天皇制運動の課題だが、それはもちろん、運動の拡大をおいてほかにない。そしていま、首都圏においても、「代替わり」に反対する、さまざまな創意に満ちた反撃が始まっている。実行委だけでなく、首都圏の反天皇制運動の枠で呼びかけて、この2月から「元号はいらない署名運動」の取り組みも始めたところだ。協力しあい、反天皇制の声をいまこそ大きく挙げていこう。